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『第1回定期演奏会 感想文集』より

苦悩を経て歓喜へ至る

                         吹奏楽部顧問 鈴木 典明 

 ミュンヘン橋の明かりがにじんで見えた。「部員たちになんと説明したらいいのか」そればかりを考えながらの帰宅であった。10月4日、今年で5回目となるジョイント・コンサートの実行委員会が開かれた夜だった。そこで決まった突然のコンサートの中止。会場のキャンセルだけは少し待ってもらった。
 ちょうどこの日の午後、僕たちは旭川で行われた吹奏楽連盟主催のマーチング・フェスティバル全道大会から帰ってきた。この大会のために、部員たちはよく頑張った。直前は前期の期末試験であったが、しっかり練習してくれた。それでも足りなくて、支笏湖での2泊の合宿。真剣に夜遅くまで目の色を変えて頑張ってくれた。 だが、旭川での本番はさんざんであった。でも、合宿と遠征を通じ、一生懸命にやれる自信と仲間への信頼感は高まっていた。帰札して解散のミーティングでは、「精一杯、練習したけど、本番は満足できる出来でなかった。このくやしさをジョイント・コンサートにぶつけよう」と互いに誓い合って、生徒たちと別れた。その矢先のできごとだった。
 家に帰り、遅い夕食。妻が「どうしたの。そんな深刻な顔して」と心配した。事情を話すと、「なんだ、それなら札商だけでやればいいしょ」と簡単に言う。僕は単独の演奏会をやるには、どれだけ大変か、少なくても、2ヶ月は準備がいることを説明した。市民会館を借りた10月27日までは、あと3週間しかない。不可能だった。
 酒を飲んで、寝ようとしたが寝つけない。札商単独ではできない。でも、子どもたちに中止と言って、それで済ます訳にもいかない。頭の中は堂々巡りを繰り返していた。

 5年ほど前、マーチングを始めてから子どもたちが変わってきた。やらされるのではなく、自立した活動になってきた。毎年3年生が頑張ってくれ前進してきた。今年の3年生も本当によくやってくれた。 夏休みはほとんどなかった。びっしり練習し、8月21日、吹奏楽コンクール。指揮をしていて嬉しくなっきた。不安だったところが次々とクリアされていく。何よりも生徒たちの集中力が感動的な音楽を作っていく。僕も音楽にのめり込むことができた。 演奏を終えただけで、すでに泣いている生徒が少なくなかった。見事、金賞。良かった。指導力のない僕と苦労を共にしてくれた部員たちに、3年生に、大きなプレゼントを贈ることができた。
 夏休みを終えてからも大変だった。10月3日の旭川での大会に石狩圏の高校として初めての出場。「いつかは大雪アリーナで」と僕が夢見ていたことが、今年のこの子らなら、できると思った。その僕のワガママに子どもたちはついてきてくれた。夜間練習も重ねた。9時に練習を終わり、体育館から重たい打楽器をかかえて、3階の音楽室へ。かたづけを終え、家に帰ると11時をまわる子もいる。合宿中も真剣だった。子どもたちに欲がでてきた。もっと良いマーチングをと自発的な要求を持つ練習姿勢だった。気持ちが弱くなってしまう生徒もいたが、僕が口を出さなくても、3年生が解決してくれた。
 旭川の本番を終えた夜、宿で夕食を終えた後、マーチングで僕らがやった松山千春の曲、「大空と大地の中で」「君を忘れない」をみんなで合唱した。そのあと、部員たちが僕へのメッセージをビデオに入れてくれた。 この子らにコンサートの中止を伝えることはできない。でも、3週間で定期演奏会は無謀すぎる。

 2〜3時間、寝たのだろうか。時計は4時過ぎ、目が覚めてしまった。また、頭の中の堂々めぐりが始まる。 6月のことだった。学校に突然、フジテレビから電話がきた。「『メチャメチャイケてる』という番組ですが、収録でパレードの出演をして欲しいのですが。」練習は当日も入れて2日間しかなかった。しかも収録は中間試験の前々日。3年生は推薦順位の決まる最も重要な試験だった。出演するかどうかは3年生に決めてもらうことにした。悩んだ末の3年生の結論がふるっていた。「出ないで後悔するのと出演して後悔するのとは、どちらが大きいか比べてみた。そしたら、出ないで後悔する方が大きいし長引くと思ったので出ることにしたよ。」
 収録は楽しかった。「極楽とんぼ」の山本さんにドラム・メジャーをしてもらいリハーサルを繰り返す中でめきめきうまくなった。本番はすごかった。沿道の人々の熱狂的な手拍子の中を本当に嵐のような紙吹雪が舞いその中央をタレントと一緒に堂々とパレードをする子どもたち。全国放映でも全く恥ずかしくないマーチングだった。スーザーホンに貼った「札商」の文字が誇らしげだった。

 この子らならやれるかもしれない。頭の中の堂々めぐりが、前進を始めた。起きてパソコンの前にすわり、レパートリーをあげてみた。予算も考えてみた。やれる可能性はある。OBの力も借りよう、大学生の力も借りよう。朝一番に市民会館のキャンセルを中止してもらうよう電話を入れた。 不可能を可能にするのだ。奇跡が起きなくちゃならない。僕がやると決めれば、あの子らはついてくるだろう。でも、それでは奇跡は起きない。奇跡を起こすだけの練習量が必要だ。練習の質も必要だ。誰かについて行くみたいなやる気では不十分だ。失敗すればこの子らの青春がみじめなものになる。今回も生徒に決めてもらおう。
 そしてミーティング。部長には休み時間に話しておいたので、中止になったことを部員たちは知っていた。音楽室に僕が入るなり、子どもたちは僕にいきどおりをぶつけてきた。みゆきが泣き出した。他の3年生は怒りに燃えている。でも、僕だって被害者なのだ。僕に怒りをぶつけても仕方ない。部長のよしみがきりだした。「決まってしまったものは仕方ない。それなら札商だけでやろう。」 部員たちは躊躇(ちゅうちょ)した。エーッという顔もある。僕はものすごい覚悟がないと演奏会はできないことを説明した。そして、みんなで決めてもらいたいと述べた。 議論は白熱した。雰囲気だけで安易に決めてしまってもダメだ。そんなことは部員たち自身がわかっていた。数々の不安が出された。どんな困難が待っているか、それを乗りこえられるのか。
 部長のよしみの迫力はすごかった。「いいのぉ、くやしくないのぉ、このまま引き下がったら、私たちがこれまでやってきたことは何だったの」 3年生がやる気で固まってきた。3年のひとみはどんな気持ちでこれまで部活を続けてきたか、を語りだした。何もしゃべらなかった1年生も話し始めた。
 2時間もかけた議論で全員が一致した。やろうと。

 練習が始まった。何枚もの譜面が次々と配られる。 定期演奏会の前に、他にも本番が3回あった。忙しさに拍車がかかる。時間との勝負だ。気を抜けない毎日が続く。やる気の出ている部員たちにとって、3回の本番は負担ではなく、バネとなった。本番を重ねながら、たくましくなる。 夜間練習が続く。夜間練習のない日はプログラム作りなど多くの準備がある。みんな疲れがたまってきた。マーチング練習の休憩時間は、みんな倒れている。その疲れを吹き飛ばしてくれたのは、たくさんの応援だった。先輩たちが次から次へとかけつけてくれる。北海学園の大学生も6名、応援してくれることになった。
 校友会の役員をなさってらした中井昭一さんのところへ、僕は甘えたお願いをしにいった。練習に明けくれる毎日では広告集めができない。多額の寄付を厚かましくお願いした。中井さんは僕たちの熱い思いを受け止めて下さった。その優しい笑顔に、不覚にも僕は涙が止まらない。その感動を生徒に伝えた。疲れた顔に生気がよみがえってくる。
 札商吹奏楽部のOB会である奏友会の会長、プロのアルト・サックス奏者、中村誠二さんにはただならぬ面倒をかけていただいた。「音楽生活50周年記念パーティ」に吹奏楽部を出演させていただき、そこで定演のチケットが200枚も売れた。私たちの演奏会のゲスト出演も承諾していただけた。そればかりかプロのコンガ奏者、斉藤不二男さんを紹介して下さり、一緒に演奏会に出て下さることになった。チラシを楽器店へ持っていくと、その豪華な顔ぶれに驚いていた。
 奏友会の村上事務局長には何度も学校へ足を運んでいただき、OBたちの応援を盛り上げて下さった。 校長、教頭が広告集めに走っていただいた。広告のお願いに校友会の方々が快く応じて下さった。保健室からは差し入れが届いた。たくさんの先生方に様々な形で応援していただいた。とりわけ、アマチュア演劇では、北海道の顔と言える秋元先生が舞台監督を引き受けていただいた。初めての定期演奏会で、しかも準備不足の状態をすべてカバーしていただけた。その段取りの良さに僕たちは安心して演奏に打ち込むことができた。 司会にも恵まれた。アナウンサーを目指して勉強中の弁論部のOB、中田裕子さんには本当に素敵で暖かな司会で、演奏会を盛り上げてもらった。 生徒会役員、女子ホッケー部の生徒も当日、大きな力を貸してもらった。
 マーチングの指導をお願いしている能代先生には、自分のことのように力をさいて下さり、スケジュールを無理やりあけて指導して下さった。

 本当に多くの方に協力をあおぎ、迷惑をかけ、大きな励ましをいただいた。これらのことが生徒に勇気を与えてくれただけではない。人間は暖かく素晴らしいものであることを、自分たちが多くの人に支えられ、助けられて生きていることを、そして、自分も他の人を支えることができる人間に成長することの大切さを教えていただいた。音楽で恩返しをしよう。  演奏会当日を僕はプログラムの完成のため、学校で一睡もしないで迎えた。できることはすべてやった。子どもたちは全力を、いや、120%の力をだしてくれた。朝、学校に集まってきた部員たちの顔は明るく、りりしい。成功が予感できた。 市民会館に入り、準備、打ち合わせ、リハーサル。部員たちは、徹夜明けの僕を気づかい自分たちでいろいろな問題を解決してくれていた。

  そして本番、一人ひとりの顔を見渡す。よし、やるぞと目で合図。子どもたちも目でやるよと応える。指揮を振り下ろす。良く鳴っている。息もあっている。集中している。よし、これで今晩は成功できるぞ。
 無我夢中の2時間だった。夢のようだった。楽しかった。心を込めたマーチングは、深い感動を覚えながら指揮をしていた。ゲストの中村さん、斉藤さんの素晴らしい演奏は大いに客席を盛り上げた。
 400人もお客さんが入れば大成功と思っていたら、600人もきていただけた。もしも成功できたらと予想していたものをはるかに上回る大成功だった。もちろん、ミスや未熟なところは少なくなかったが、部員たちの熱い思いは確かに客席に届いていた。子どもたちが輝きだした。奇蹟が起きた。
 カーテンコールの中、打ち合わせになかったことが起きた。1・2年生が3年生に大きな花束をプレゼント。3年生の顔がくしゃくしゃになる。その3年生が僕に大きな大きな花束を贈ってくれた。 「先生、本当にありがとうございました。」 おい、違うよ。お礼を言わなければならないのは僕の方。あなた方のおかげで、僕は教師になれたような気がする。君たちをきたえているつもりでいたけれど、たたき上げられたのは僕の方。本当に大きないきがいをつくってくれた。かけがいのない大きな幸せをプレゼントしてもらえた。本当にありがとう。

 

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